教育にも美学を 「ID美学の第一原理」
ざっくりのあらすじ
1. インストラクショナルデザイン(ID)の現状の課題として、システム的・工学的なアプローチに偏重し、学習者の没入感や魅力に欠ける学習デザインが多いことが挙げられる
2. IDに美学的要素を取り入れることへの誤解(ごまかし、受動的、表層的、難しい)が、IDの美学の普及がされていない理由と考えられる
3. ID美学の第一原理として、学習体験における物語性、学習者主体、活動重視、インストラクターの役割などが重要である
4. より効果的な学習デザインのためには、学習者視点に立ち、ストーリーテリングの要素を取り入れた共感的な設計が必要である
私たちリープは、インストラクショナルデザイン(ID)に基づいた学習(研修)やパフォーマンス評価をお客様にご提供しています。
このIDのアプローチを通じて、お客様の人材育成にしっかりと貢献できていると実感しています。しかし、研修を設計しているときにふと、「この学習デザインで、学習者の皆さんは本当に効果を感じられるのだろうか?もっと熱中して没頭できるように工夫できるのでは?」と考えることがあります。
ここで言っているのは学習者の姿勢の問題ではなく、私たちが提供する学びそのもの、つまり研修や学びのデザインが「堅すぎてつまらない」と思われていないだろうかという疑問です。
もしかしたら、堅苦しい印象を与えてしまっているかもしれない。そんな思いから、今回は少しだけ異なる視点で、インストラクショナルデザインに「美学」の要素を取り入れて、もっと魅力的な学びを作ってみよう、というお話をご紹介します。
なぜIDに美学が必要なのか?
インストラクショナルデザイン(ID)に美学を取り入れる重要性について、Patrick Parrish が初めて提唱しました。
彼は、IDにおいて美学的な要素が十分に検討されてこなかった結果、「学習者が没入できず、効果が得られない学習デザイン」が多く生み出されていると指摘しています。その理由として、学習(研修)を設計する人々が、システム的な分析や設計手法に依存しすぎて学習者を鼓舞し引き込む役割を果たさず、どちらかというと「ドライでクールな立場」を選んでしまっている点を挙げています。確かに、この指摘は少し痛烈ですね。
Parrishは、IDをアートと同一視するわけではありませんが、アートとデザインの境界がそれほど明確でないことにも言及しています。たとえば、自動車デザインは工業デザインの一種ですが、美しさを感じさせるスポーツカーなども存在しますよね。つまり、美学は芸術に限らず、あらゆる分野、IDのような学問分野にも必要な視点だと彼は主張しています。この考え方に、IDが学問であることを踏まえれば、十分に適合するものです。
では、なぜIDの分野で美学がこれまで避けられてきたのでしょうか?
Parrishによれば、その背景には、美学が矮小化され誤解されている点があるとしています。
美学に対する4つの誤解
(1) 美学はごまかしである
美学が学習者を惑わせ、表面的なもので学びの本質を隠してしまうという誤解があります。
しかし、美学は、学習者自身が実際にその体験を通じて感じ取るものです。美しくデザインされた学習体験は、学習者にリアルな理解や洞察をもたらし、彼らの現実に深く結びつくものになります。したがって、美学はごまかしではなく、学びを豊かにする手段なのです。
(2) 美学は受動的である
インストラクターの自己表現が押し付けられるだけで、学習者の意味ある関与を促さないという誤解もあります。
しかし、美学的なデザインは学習者の積極的な関与を引き出すものです。小説のように進展する学びのプロセスや、結末への期待感を伴うワクワクする展開を作ることで、学習者が自発的に関わり、没頭できるようにするのが美学の役割です。
(3) 美学は表層的である
美学が単なる表面的な飾りで、知的な学びに貢献しないという誤解もあります。
しかし、美学は単なる情報の伝達を超え、豊かさや調和を通じて、学びの意義や価値を深めるための力強い要素であるといえます。教育はただ情報を伝えるだけでなく、現実の複雑さやジレンマに対応する力を養うことが目的です。学習の中で、応用や現場での実践が求められる状況をデザインすることや成功へ導くまでのプロセスを物語ることは、表層的ではなく深い学びを促すものです。
(4) 美学は難しい
「美学は芸術家のような特別な感性がないと扱えない」という誤解もあります。
しかし、アートは見る人に感性と解釈を求めるものであり、誰もがその経験を自分なりに感じ取ることができます。学習デザインにおいても、感情の起伏や感性に注意を払いながら、単に情報を伝えるだけでなく、学習者の心に響く体験をデザインすることが重要です。
ID美学の第一原理
これらの誤解を払拭し、インストラクショナルデザイン(ID)に美学的視点を取り入れるために、次の5つの第一原理が提唱されています。この原理は、学習体験をより没入感のある深いものにするためのガイドラインです。
① 学習経験には、初め・中ごろ・終わり、すなわち筋書きがある
学習プロセスには物語のような筋書きがあり、開始から終わりまでの流れを持たせることで、学習体験のスムーズさと興味を引きやすくします。
例えば学習者は最初に新しい知識に触れ、中間でその理解を深め、最終的に成果をまとめ上げます。この流れに筋書きがあることで、学習体験はよりスムーズで興味を引き続けるものになります。
② 学習者は、自分の学習経験の主人公である
学習者は、学習の中心にいるべき存在です。
自分の学びに積極的に関わり、自らがその「主人公」として活動することで、学習に対する意欲や達成感が高まります。学習体験が他者のためではなく、自分自身の成長に直接結びつくことを実感できることが大切です。
③ 教科ではなく、学習活動がテーマを設定する
ただ教科の内容を学ぶだけではなく、学習活動そのものが意味や意図を設定し、教科内容以上に、学習者がどのように学ぶかという行動にテーマ性が宿ります。
学習者がどのように学ぶか、その過程が大切であり、アクティブな学習体験が提供されることで、学びが深まり記憶に残るものになります。
④ 文脈が教育場面への没入感に貢献する
学習がどのような文脈で行われるかは、没入感に大きく影響します。
学習者にとって関連性のある文脈や、現実世界に近い状況で学びが展開されると、その学びに対する感情的なつながりが強まり理解も深まります。
⑤ インストラクターと教育設計者は、作者であり助演者であり、主人公のモデルである
インストラクターや設計者は、学習体験の「作者」として学習者が主体的に活動する姿を示すモデルとなり、時には「助演者」として学習者をサポートする役割を持っています。そして学習者にとってのロールモデルとなりながら、学びの過程をともに進めることが求められます。
この5つの原理は、IDだけでなく、絵画や演劇など他の芸術分野にも共通する視座を提供します。「学び」を単なる知識習得の場ではなく、意味を創り出す活動と捉えることで、これらの美学的原理が学習プロセスに適用できるのです。
リープのコラムでも紹介しているPBL(プロジェクト・ベースド・ラーニング)や、GBL(ゲーム・ベースド・ラーニング)などはこれらの原理を活かした学習手法です。これらの手法では、学習者を主人公とした物語的な学習体験を通じて、文脈を伴った学びを促すことで、より深い理解と成果を得ることができます。
興味のある方は、ぜひコラムや詳細をご覧いただければと思います。
ご参考:
プロジェクトベースドラーニング 企業に必要な問題解決型学習
確かな実務家を育てる『PBL』の取り入れ方
ゲームの世界でいつの間にか学んでいる!? Game Based Learning(GBL)で実現する効果的な教育・研修
学習にストーリーテリングを
教育設計者にとって最も重要なスキルは、学習者の視点に立って学びのデザインを見ることです。これは、自分自身の視点や経験に固執するのではなく、学習者がどのように学び、どのような経験をするかを理解する能力に他なりません。
優れた小説家が自らのアイデンティティを一時的に脇に置き、登場人物の視点に立って物語を紡ぐように、教育設計者もまた、学習者の視点に立ち、彼らがどのように学びを体験するかを共感的に理解することが求められます。
このプロセスでは「学習者への共感」が極めて大切です。教育設計者が学習者の立場に立って、彼らの学びのストーリーを「語れる」ようになることが理想的です。共感は、学習者の感じ方や思考のプロセスを理解し、学習過程において彼らが直面する挑戦や喜びに目を向けることで生まれます。
さらに、テクニカルな問題解決技法にストーリーテリングの要素を加えることで教育設計者は、より優れたデザインを生み出せます。単なる情報の伝達や知識の供給ではなく、学習者がその内容に没入し、主体的に関わるようにデザインすることが可能になります。この手法により、学習者はただ学ぶだけではなく、学びの過程を深く理解し、その経験から得た洞察を自分のものとして身につけることができます。
教育設計者が、学習者がどのように学び、どんな感情や考え方を持ってその学びに取り組むのかを想像し、共感し、デザインに組み込むことで、デザインの究極の目的に近づいていくのです。
まとめ
今回は、学習(研修)設計に美学の視点を取り入れたID美学の第一原理をご紹介しました。
学習者一人ひとりがまるで物語の主人公となるような体験を得られる学習設計を行うことで、深く印象に残る学習経験が生まれ、その成功が期待できます。
成功率を高める研修設計については、ぜひ私たちリープにご相談ください。
参考文献:
鈴木克明(2009)「インストラクショナルデザインの美学・芸術的検討」,『第34回全国大会(名古屋大学)発表論文集』, p.272-273, 教育システム情報学会.