エキスパートの高度なスキルを効果的に転移する3ステップ

インストラクショナルデザイン, コーチング, 人材育成, 学習支援

ざっくりのあらすじ
1. 
複雑な知識やスキルが必要な業務の人材育成に効果的な手法に「認知的徒弟制」がある
2. 
認知的徒弟制は①モデリング、②コーチング、③スキャフォールディング&フェーディングの3つのフェーズで行われる
3. 
製薬会社の大学病院担当MR(Medical Representative)の育成に認知的徒弟制を応用した事例を紹介
4. 
認知的徒弟制により、エキスパートの知識と経験を次世代に継承し、組織全体の能力向上が期待できる

転職が当たり前の昨今において、中途採用やキャリアチェンジも珍しくありません。
新入社員の育成だけでなく、近年、多くの企業が苦慮している課題の一つが、部署異動者や中途採用の育成です。

単純な業務はマニュアル化されていたり、デジタルに置き換わっている昨今ですが、より複雑な知識やスキルが必要な業務の人材育成はどのようにされていますか?

「経験値が必要な業務になればなるほど、引き継げる後継者がおらず、ずっと同じ人が担当している……」
「業務に必要なスキルが複雑で、たった数日の研修ではとても教えきれない」
「〇〇さんが、あと3人いてくれたらいいのに……」

ものづくりにおける技能伝承の問題もそうですが、企業内教育においても複雑なスキルや高度な知識の習得には時間がかかり、研修だけでは十分に賄いきれないことが多くあります。そんな時に効果的な育成手法として役に立つのが、「認知的徒弟制」です。

認知的徒弟制とは

「認知的徒弟制」は、ジョン・S・ブラウンらによって提唱された学習理論の一つで、主に新しいスキルや知識を学び取るための教育的アプローチを指します。これは伝統的な徒弟制の概念に基づいており、ここではエキスパート(専門家)が初心者に直接指導を行い、そのプロセスを通じて専門的なスキルや知識を移転します。

認知的徒弟制では、学習者はエキスパートの行動を観察し、それに基づいて自分自身の知識やスキルを形成します。
このプロセスは一般的に次の3つのフェーズで行われます。

① モデリング
エキスパートが特定のタスクを行う方法をデモンストレーションします。このデモンストレーションは、初心者がエキスパートの思考プロセスを理解し、その行動を模倣するための基盤を提供します。

② コーチング
初心者が自身でタスクを行うようになると、エキスパートはそのパフォーマンスを監視し、必要に応じてフィードバックと指導を提供します。このフェーズでは、初心者は自身の理解を深め、独自の解決策を探求するための自信を得ることができます。

③ スキャフォールディング&フェーディング
初心者が独立してタスクを遂行できるようになるまで、エキスパートは支援を続けます。その後、エキスパートは段階的に支援を撤回し、初心者が自己調整のスキルを獲得できるようにします。

このアプローチは、学習者が実際のタスクに取り組むことで深い理解と適用力を獲得するのに役立ちます。このような学習は、学習者が複雑な問題解決能力を発展させるのに特に有用であると考えられています。

認知的徒弟制を活用した事例 「製薬会社 大学病院担当MR育成」

認知的徒弟制を活用した事例の一つとして、製薬会社における大学病院担当MRの育成を取り上げてみましょう。
製薬会社の営業職であるMRは開業医担当からはじまり、基幹病院担当、大学病院担当とキャリアアップするパターンが多くあります(すべてがこの限りではありません)。大学病院担当MRは開業医担当と比較して、大学病院の医局という複雑な環境での高度な専門知識・スキルが求められます。初めて大学病院担当になっていきなり一人で担当するよりは、認知的徒弟制を導入することで、経験豊かな大学病院担当MRからの直接指導を受けることができます。

高度な知識やスキルを持ち、地域に影響力のある大学病院での採用・適切な患者さんへの処方を支援する役割を果たす彼らは、組織内で重要な存在です。一方で製薬業界内では専門的な知識がより必要になるスペシャリティ製品へのリソース投下が進んでおり、MRとしての経験値が浅くても、基幹病院や大学病院を担当するケースも増えています。

このような場合に「認知的徒弟制」を活用して新任MRを一人前の大学病院担当者に育成する方法をご紹介します。

① モデリング(観察と模倣)
このフェーズでは、経験豊富な先輩MRの活動を観察し、模倣します。複数名で同じ大学病院を担当する組織体制の場合はこのような環境を構築しやすいと思いますが、そうでない場合は、他の大学病院担当MRと同行する機会を意図的につくったり、所長が同行を手厚くする方法もあります。先輩MRの具体的な仕事の進め方、医師や病院スタッフとのコミュニケーションの取り方、製品情報の伝え方などを間近で詳細に観察し、その手法を自身の仕事に適用します。
これは、他人の行動を模倣することで新たなスキルや知識を獲得する過程であり、先輩MRの行動や考え方を新任MRが模倣することで理解を深めます。

② コーチング(実践とフィードバック)
このフェーズでは、模倣した後は実際に自分で行動を取ります。しかし、初回の実践は先輩MRの監督のもとで行います。こうすることで初めての実践に伴う不安を軽減し、即時で具体的なフィードバックを得ることができます。

③ スキャフォールディング&フェーディング(独立と持続的な学習)
このフェーズでは、新任MRは独立して行動を開始します。スキャフォールディングは、学習者が自分自身で問題を解決するための支援をエキスパートが提供し、フェーディングはその支援を徐々に減らしていくプロセスを指します。つまりこのフェーズでは、先輩MRは新任MRに対してMRとしての自立を促しつつ、新任MRは自身のスキルアップや新たな知識の吸収に努めます。また、新任MRは定期的に先輩MRや上司からフィードバックを受け取り、自己改善を行うことが求められます。

認知的徒弟制は、短期的には時間とリソースを必要とするかもしれませんが、長期的な視点で見ると、専門知識を持つ質の高い大学病院担当MRの育成には非常に効果的な手法といえます。

師匠と弟子モデルの学習を「意図的」に設計する!

認知的徒弟制を活用することで、弟子(学習者)は経験が必要とされていた実践的で複雑な知識やスキルを効果的に習得することができます。また、師匠(熟達者)側も指導を通じて自身のスキルを棚卸して再確認し、より深化させるリフレクション効果が期待できます。

ますます高度で複雑なスキル育成が求められる企業内教育に関わるビジネスパーソンの皆さんにとっても、認知的徒弟制は実務の文脈で活用できる有効な手法です。熟達した社内のエキスパートを発掘し、その知識と経験を次世代に継承することで、組織全体のケイパビリティを引き上げ、生産性向上につなげることができます。

部署異動者や中途採用社員など経験値が必要な複雑な職務スキル育成において悩んだ場合は、ぜひ認知的徒弟制を活用してみてください!

 

執筆者プロフィール

荒木 恵 リープ株式会社 取締役・インストラクショナルデザイナー 
ラーニングデザイナー (eLC認定 e-Learning Professional)、e-Learning マネージャー(eLC認定 e-Learning Professional)、e-Learning エキスパート (eLC認定 e-Learning Professional)、CompTIA CTT+ Classroom Trainer、認定アクションラーニングコーチ、日本評価学会認定評価士、修士(教授システム学)、RCiS連携研究員
趣味は温泉・秘湯・マッサージ巡り。(どこかおススメがあれば”こっそり”教えてください!)
教育に関わるデータの活用方法から、データに基づいた教育プランの設計まで、皆さんのお悩みをサポートしますので、お気軽にメッセージください。

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